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日本古来の
おくゆかしさでおもてなし

明治9年(1876年)よりここ唐津の地で
お客様をおもてなしして参りました心を
今も大切にしております。
歴史とともに進化を続ける綿屋。
平成26年4月25日(2014年)には本館・洋館が、
国の「登録有形文化財」に登録されました。

女将のあいさつ

当館は明治9年(1876年)に
料亭「わ多や」を創業以来、
料理の味、質、季節を大事に
心通うサービスを目指しております

万葉集に
「遠つ人 まつらさよ姫夫(つま)恋にひれふりしよりおえる山の名/山上 憶良」
とありますように、唐津は日本最初の悲恋物語の地であり又、稲作文化が一番先に入ってきた大都会でした。
唐津は数々の譜代の大名が変わった城下町であります。
城下町の名残のある美しい町並み。虹の松原の美しく豊かな自然。茶器で有名な一楽、二萩、三唐津の唐津焼。
11月のまつり唐津くんちなど本当に魅力一杯の町です。

綿屋は唐津の中心にあり、観光にも便利です。千坪の敷地に緑一杯の庭、春はつつじの園となります。豪商の別邸を活かした純和風旅館で、鶯、蝶、とんぼ、蝉が庭の中を飛び回り自然の中で、お疲れをゆっくり癒して頂けると思います。なお、平成15年12月(2003年)よりからつ温泉「かぐや姫の湯」の掘削に成功しました。高齢者にやさしい「シルバースター」の登録も合わせていたしました。創業からの歴史を大切にしつつ、お客様により満足いただけるよう日々精進して参りたいと思います。

登録有形文化財へ
登録されました

国登録有形文化財 
本館・洋館

旅館 綿屋の本館・洋館が
平成26年4月25日(2014年)に
「登録有形文化財」に登録されました

綿屋本館

年代
明治後期
構造
木造三階建て、桟瓦葺き、寄棟造り
概要
炭鉱主 田代政平氏の別邸として明治38年(1905年)頃に建築され、昭和8年(1933年)頃旅館として開業現在に至ります。

綿屋洋館

年代
明治後期
構造
木造平屋建て、桟瓦葺き、寄棟造り
概要
本館と同じ明治38年(1905年)頃とされ本館から独立して建てられた洋風意匠に応接室。現在は客室として利用されています。

今後とも佐賀県の観光地" 唐津"の温泉宿として努力いたします。

登録有形文化財(建造物)とは
平成8年10月1日(1996年)に施行された文化財保護法の一部を改正する法律によって,保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物を,文部科学大臣が文化財登録原簿に登録する「文化財登録制度」が導入されました。  この登録制度は,近年の国土開発や都市計画の進展,生活様式の変化等により,社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくために作られたものです。届出制と指導・助言等を基本とする緩やかな保護措置を講じるもので,従来の指定制度(重要なものを厳選し,許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものです。

綿屋の歴史

唐津の地で
明治9年(1876年)より
一世紀半
お客様へのおもてなしの心を
大切にしております

  • 昭和8年(1933年)頃の外観

-由来-

祖先の川添姓は松浦党の川副氏で
南朝時代 頼朝の南朝方につく
宇治川の戦いで手柄 尊氏より
現在の佐賀市川副町付近の領地をもらう

その後波多氏に仕え重橋城主川副左衛門尉監物は祖先で、その後江戸時代は唐津東松浦で3軒綿屋があり玄海町有浦付近で新綿を商いとしていたと伝わります。

綿屋の名は江戸時代の商いであった綿屋から、木綿町の地名から、あるいは墓碑に刻まれた名から等諸説あります。

*綿屋の前の持ち主
「田代政平」について
獄炭鉱(伊万里大川町立川ワタエン谷)坑業人 田代政平は明治はじめから12年(1879年)頃まで、出炭不振であったが、政平は一人鉱区を拡大 当時北波多村矢代町に小笠原長生らの開抗していたが閉抗となった矢代炭坑を明治26年(1893年)下請の契約をし、出炭を始めた。翌年8月の日清戦争は炭価を暴騰させ、「雨がふるように金が入ってきた」というほどのものであった。現在の旅館綿屋は政平の住家として建てられたもので、また立川村の公共施設を私財を投じたため立川村に「田代政平碑」が建てられた。政平は大川野村立川、綿屋谷に生まれ矢代町炭坑で財をなし立川に銅御殿と呼ばれる邸宅、米蔵二棟を建てたと伝えられるが、現在は石垣が残るのみ。また明治26〜7年(1893〜1894年)頃唐津大名小路に別荘豪邸を構えて世間をあっと言わせた。その豪邸も昭和8年(1933年)頃以来旅館綿屋が譲り受けて今日に及ぶ。政平は後に満州に渡り大正5年(1916年) 70歳で永眠。墓は立川にある。
「松浦史談会 末盧国」より (昭和53年3月15日(1978年)3月15日発行分)

-創業140余年-

  • 昔の綿屋
  • 昔の応接間
  • 昔の広間

川添茂兵衛が唐津市木綿町に「料亭わ多や」をおこし、客室数5、広間1で営業を開始しました。(当時の住所/唐津町1975番1字内町(77の裏))。

川添茂兵衛が唐津市木綿町に「料亭わ多や」をおこし、客室数5、広間1で営業を開始しました。(当時の住所/唐津町1975番1字内町(77の裏))。
木綿町では魚屋、かまぼこや置屋 料亭を営みました。地租改正が明治6年(1873年)に明治政府が行われ、当館明治9年(1876年)の地券があり、先代からのいいつたえで明治9年(1876年)創業としました。松浦史談会発行 末盧国では明治26〜7年(1893〜1894年)頃唐津大名小路に別荘豪邸をとありますが、当館の資料では明治38年10月19日(1905年)に田代政平氏が購入とあるので明治39年(1906年)頃の建築と思われます。ちなみに「旧高取家住宅」は明治時代に肥前の炭鉱王と呼ばれた高取伊好の迎賓館兼住宅として明治37年(1904年)に建設されたものです。
※「旧唐津銀行」は明治45年(1912年)建築

博多築港記念大博覧会
パンフレットについて
博多築港記念大博覧会パンフレット

パンフレットは昭和11年(1936年)福岡市で開催された博多築港記念大博覧会という大会の観光客誘致のものです。名からうかがえるように、このイベントは博多港の修築工事(第1期)が竣功するのを記念して開かれました。もちろん工事竣功を祝福するだけでなく、博多港と福岡を紹介し、産業と商業を盛んにすることに博覧会の目的がありました。
当時大名小路に料亭「綿屋」海士町に「川の家」木綿町 綿屋支店「綿祖」があり、野口雨情作の綿屋川の家音頭小唄 唐津名物またおいでを作詞しております。

会社概要

会社概要

施設名株式会社 綿屋
略称(屋号)旅館 綿屋
代表者名川添 晃
所在地〒847-0012
佐賀県唐津市大名小路5-10
TEL
FAX0955-72-4182
メール
アドレス
公式サイトhttps://e-wataya.com
創業明治9年9月1日(1876年)
本館2階洋館1階・和室11室 洋室1室
収容個人・一般団体/61名、
小中高生/80名

沿革

昭和55年12月
(1980年)
改装 旧大広間2階を5客室へ大広間105畳を増築
昭和58年3月
(1983年)
政府登録1880号 昭和58年3月30日(1983年)登録認可(政府登録国際観光旅館)
昭和59年1月
(1984年)
国際観光連盟 昭和59年1月1日(1984年)加盟
平成15年12月
(2003年)
ナトリウム塩化物硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性冷鉱泉)のボーリング成功
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